de JK1UVL 保坂です
ニュージーランドの南島、クライストチャーチで大きな地震が発生、
現時点では多数の日本人の安否が不明である。
早期発見されることを切に願っています。
このクライストチャーチという地名、実に懐かしい。
今から30数年前、まだ、自分が中学生だった頃のこと。
コールは取ったもののの、QRVは50MHzオンリーで、
とてもHFなんてリグもANTも買えずに、SWLを続けていた頃。
ソニーのBCLラジオにBFOで21を聞いていたら、
聞こえてきたのはDX同士のQSO。
当時のログを見ないでも、今でもコールもその時の音質も、声もフォネティックも覚えている、
9V1VVとZL3GRのQSO。
ずっとSWLをやっていたから、21でDX同士のQSOを聞くなんて別に珍しくもなんともないのだが、
何故だか、その時、そのQSOをカセットに録音したのだ。
これを送ってやろう、と、
妙な親切心というか、SWLとしてのプライドか、
あるいは余計なお世話か、とにかく、
喜んでもらえるんじゃないかという
下心があったはずだ。
で、その時、どういう経緯で先方のアドレスを知ったのか、
もしかしたらSWLレポートを出して、戻ってきたカードで住所を知って改めて送ったのか
よく覚えていないけど、
そのZL3GRにQSOの録音テープを送ったのだ。
そうしたら、しばらくして、英文の,タイプ打ちした手紙が送られてきた。
こっちは中学生である。
辞書を片手に訳したのだが、向こうは年配のハムで、
クライストチャーチという所に住んでいるという。
はじめ、自分はクライストチャーチというのが、地名、
しかも大都市だなんて思いもよらず、
「キリスト教会」とは一体どこだ?と困惑してしまった。
地図で見たら、南島で一番大きな都市だという。
街の写真も送ってくれた。
ニュージーランドに、クライストチャーチという街があることを
自分はその時、初めて知った。
その後も辞書を片手に、金も無い中学生故、
一通110円(記憶が定かでないが)の航空書簡で返事を出していた。
このZL3GR、Rayと何度か、手紙のやりとりは続いていた。
そう、確かに、自分は中学時代の一時期、ZLのクライストチャーチに住む
年配のハム(確か60歳を超えていたと記憶している)と文通をしていたのだ。
何度目かの手紙に、「近々東京に行き、『銀座丸の内ホテル』に宿泊する予定だ」とうメッセージが書いてあった。
読んでビビった。
今から思えば,なんて、子供だったんだろう、と思うけれど、慌てた。
手紙を書くのも一苦労なのに、実際に会って話しなんて出来るわけ無い、と腰が引けてしまった。
そして、その後、プッツリと文通は途絶えてしまった。
いや、途絶えさせてしまったのだ。
その数ヶ月後、何気なく眺めていたCQ誌のローカルトピックスのコーナーに、
来日したZL3GRを囲んで、日本のハムが歓迎会を催した、という記事と写真が掲載されていた。
なんだか、ホッとしたような、申し訳ないような,恥ずかしいような気分になったことをよく覚えている。
それから30数年、コールも、フルネームもなぜか、忘れずに記憶し続けているのが不思議なくらい。
そんなクライストチャーチの名前に久々に再会したのが、今回のニュースだ。
懐かしい名前。
そういえば、と気になって、QRZ.comでZL3GRを検索してみた。
クライストチャーチの文字も、Ray G. Archarの名前も無かった。
Silent Keyになって、callsignは再割り当てされたのであろう。
会ったことも無いけれど、話しをしたこともないけれど、
自分がlowteenのある時期、自室のラジオで聞いた遙か彼方からの電波のおかげで、
21世紀の今の、世界のニュースが少し、身近な物に感じられるのだ。
インターネットが普及しても、こういう体験は・・持てないんだろうなぁ、今の世代は。
クライストチャーチの大震災は、とても驚かされました。
羽田空港が24時間離発着できるようになったため、
深夜(00:30)発のシンガポール航空でシンガポールまで行けき、シンガポール航空のクライストチャーチ行きの午前便?に乗り継げるようになりました。成田や関空からだと、ニュージーランド航空のオークランド行きを利用して、オークランドで国内線のクライスチャーチ行き乗り継がなけれなりませんでした。クライストチャーチまでは今まで丸1日以上かかっていましたが、羽田空港の24時間のおかげで、半日でクライストチャーチまで行けるようになりました。
くだらないことに詳しいでしょう。
10~15年後は、クライストチャーチに生活の拠点を移す計画を立てていました。先日の大震災で計画の変更を余儀なくされそうです。理由はパートナーが阪神淡路大震災の罹災者のため、抵抗をはじめたからからです。
非常に面倒なことになっています。